ひったかの起源

一ノ谷の合戦で平家が敗走後の寿永3年(元暦元年)1184年、平家の武将、越前守三位平通盛と能登守教経とが、金浦地区(魚渚郷)の西浜(ようすな)にあった陶山城において、兵を集め、平家の再蜂起を計っていた。この期に、源氏方に通じていた讃岐国の在庁等が水軍2千余りで陶山城を海から攻めたて、激しい海戦が展開された。通盛らは味方の劣勢を補うために、付近の山一帯に、かがり火を焚いて大軍と見せかけ、敵を欺いて退散させたという。

行事としては、もとは、オシグランコが行われた夜、子どもたちが主役となって、ひったかが実施されていた。

行事の形態
ひったかは旧5月5日に近い土曜日の夜に笠岡市金浦の妙見山と行者山とに東西、紅白と対抗して、初夏の夜空に、くっきりと美しいものの形を提灯の灯で、浮かび上がらせて、それぞれの構図のよさ、美しさを競いあう全国的に珍しい行事。
元は松明を焚いていたが、提灯に時代と共にかわり、題材を時事ニュースや世相の風刺に求めてデザインした絵模様を競い合う形になったのは明治以降であろう。

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