北木石の足跡を辿る旅(関西編) 2023.7.8-9

笠岡市伏越港集合 午前8:00 → 大阪城へ向けてスタ-ト

レトロで美しい『北木石の建築物 関西5選~岡山県笠岡市からの宝物

https://openmatome.net/matome/view.php?q=14484741496460

途中トイレ休憩・昼食 13:00に大阪城で待ち合わせ
NPO大阪観光ボランティアガイド協会

⒓:15 日銀大阪支店前通過

目次

⒓:20 大阪市中央公会堂

ホームぺージを検索していると・・・。

辰野金吾について

東京駅・大阪市中央公会堂・・。どこかデザインが似ていると思いませんか?下記のリンクをご覧ください。

https://ontrip.jal.co.jp/tokyo/17312852

東京駅(辰野金吾設計)

岩本栄之助

大阪市中央公会堂の歴史について

岩本栄之助

中之島の、そして大阪市のシンボルともいえる公会堂。かつて、その誕生のために莫大な私財を投じながら、完成を待つことなくこの世を去った人物がいた。それが、「義侠の相場師」ともいわれた株式仲買人、岩本栄之助である。
岩本栄之助は1877年(明治10年)、大阪市南区(現在の中央区)にあった両替商「岩本商店」の次男として生まれた。
小学校を出て進学した大阪市立商業学校を卒業後は、外国語学校などに通う傍ら家業の手伝いを始めるが、1904年(明治37年)に日露戦争に出征。除隊後の1906年(明治39年)3月に家督を継ぎ、正式に大阪株式取引所の仲買人として登録されることになった。
栄之助が仲買人となった直後の1906年(明治39年)5月、北浜の大阪株式取引所を日露戦争終結に端を発する空前の暴騰が襲う。株価は急騰し「買えば必ずもうかる」とささやかれた。

このとき、北浜の仲買人の大半は、いずれ暴落することを見越して売方に回っていた。しかし、株価の暴騰は止まらず、多くの仲買人は破産寸前の状況に追い込まれることになる。そこで彼らが頼ったのが栄之助であった。手堅く買方に回っていた彼に売方に転じてもらい、株価を下落させようとしたのである。買方として得た利益を吐き出してくれというこの常識外れの懇願を栄之助は快諾。「父親の代からお世話になっている皆さんへの恩返しだと思って協力しましょう」と答えたのである。
この結果、翌年1月21日に株価は大暴落。売方である北浜の仲買人は破産を逃れ、莫大な利益を手にし、栄之助自身も大きな利益を得たのである。北浜の仲買人らは、「岩本さんには足を向けて寝られない」と感謝したと言われている。
また、「学問せなあかん」が口癖の栄之助は、証券取引所で働く少年たちのために、学校に行くように勧めると共に、私財を投じて塾を作るなどしたため、ますます人気が出ることとなり、「北浜の風雲児」と称えられた。
その栄之助が、仲買人として働き出した当初から強い関心を抱いていたのが、株で得た利益を公共のために活かすことであった。そうした栄之助の思いをさらに強くしたのが、1909年(明治42年)の「渡米実業団」への参加である。

渡米実業団一行

渡米実業団一行

初めて異国の地を踏んだ栄之助は、米国の富豪の多くが財産や遺産を慈善事業や公共事業に投じていることに、強い感銘を受け、大阪の地にもどこにも負けないホールを建設しようと決意する。旅の途中、父・栄蔵の訃報を受け取り緊急帰国した栄之助は、父親の遺産の50万円に、自分の手持ち財産を加えた100万円を大阪市に寄付する。
現在の貨幣価値でいえば数十億円という巨額であった。当初は、公園や学校の整備などさまざまなプランが出されたが、最終的に公会堂の建設が選ばれたのは、母親の「誰にでも使ってもらえるものを」というアドバイスがあったといわれている。

1914年(大正3年)に株式仲買の第一線から身を引いた栄之助であるが、翌年には再び株式仲買の世界に身を投じる。しかし、第一次世界大戦勃発の影響による高騰相場で、莫大な損失を出してしまう。周囲の人々は、大阪市に寄付した100万円を少しでも返してもらうように勧めるが、栄之助は「一度寄付したものを返せというのは大阪商人の恥」としてこれを拒否。1916年(大正5年)10月、自宅でピストル自殺の道を選ぶ。栄之助が生死をさまよった5日間、彼に恩義のある北浜の仲買人らは、大阪天満宮で夜通しかがり火をたいて無事を祈ったが、10月27日、栄之助は享年39歳でその人生を終える。

栄之助が夢見た公会堂は、その死から2年後の1918年(大正7年)年11月に完成。現在は国の重要文化財にも指定され、いまなお市民の文化・芸術の活動拠点として親しまれている。

13:00 大阪城


NPO法人大阪観光ボランティアガイド協会 藤井理事長・久松理事のご案内をいただき、北木石を探す。
北木産であろうと言われる龍虎石の前で「北木島石切り唄」奉納。

大阪城竜虎石の前で北木島石切り唄披露

https://youtu.be/hn5gn05ruGM

16:00 京都五条大橋

16:40 京都府立図書館

17:00 宿泊 日昇別荘到着
・高木治夫氏率いる京都グループとの交流

ITマネージャーの高木さんが笠岡へアドバイスに来られていたころに、先生は北木の風景を見てかなり興味を持っていただき、独自に島を回られて写真を撮られ、ウキペディア等に投稿いただいていました。
何と!「丁場湖」という名称は高木先生が命名されたものです。独自に記事も投稿されています。

瀬戸内の石文化と文化財~大阪城石垣を切り出した丁場を追う  
https://openmatome.net/matome/view.php?q=14492981925061  
レトロで美しい『北木石の建築物 関西5選~岡山県笠岡市からの宝物  
https://openmatome.net/matome/view.php?q=14484741496460
京都の北木石:五条大橋、京都府立図書館、同志社女子大学ジェームズ館 『五条大橋の弁慶と牛若丸』~活躍する北木石  https://openmatome.net/matome/view.php?q=14466307843958  
国登録有形文化財「同志社女子大学ジェームズ館」は「同志社女子部の母」デントンが創建  https://openmatome.net/matome/view.php?q=14866597901331

北木島と京都のグル-プの交流については、京都の築出さんがホームページにまとめていただいていますので、ご紹介します。

宿舎:日昇別荘

京都らしい、しっとりとした落ち着いた感じのいい宿舎でした。皆満足のお宿でした。女将さんをはじめ皆様ありがとうございました。


宿舎発:8:30
京都駅へ寄って京都のお土産を調達し、西宮へ

10:00 西宮砲台跡 

幕末の頃、国防に不安を感じていた江戸幕府では、将軍徳川家茂の時代になり勝海舟の建議を取り入れ、文久3年(1863年)、大坂湾の海防のために和田岬砲台舞子砲台今津砲台などとともに西宮砲台の建設が開始された[3][4]
基礎工事(地杭打ち)では1,541本もの[注 1]松杭が打ち込まれた。建設に必要な御影石(花崗岩)は主に、備中小田郡の島々[注 2](現・岡山県笠岡市)より切り出し、海路にて運搬された[注 3]。熟練工を多く招集し突貫工事で建設が進められ、慶応2年(1866年)に竣工。完成後、空砲を試し撃ちしたが砲煙が内部に充満してしまい、結局実用には向かず、一度も使われないまま明治を迎えることとなる[2][3]
その後西宮町は、砲台を所有する陸軍省に対し再三払い下げを申請したが不許可となったが、明治40年代に阪神電鉄へ払い下げられ、香櫨園浜遊園の一部として利用された[6]

⒓:00 神戸布引ハーブ園 

11時過ぎには近所についていたのですが、駐車場を探すのに手間取って、ロープウェイで山麓に着いたのは⒓:00丁度
なんと、霧でほとんど視界ゼロの状態でした。
20分ほど見学して、帰りの時間があるのでロープウェイで降りることに。

こんな感じの予定が・・。

生憎の霧で何も見えませんでしたが、ロープウェイ等楽しむことが出来ました。

https://www.kobeherb.com/

12時過ぎまゆっくりパターンと1時間ぐらいで切り上げ、高速SAで昼食をとって帰るパターン

遅くとも15時30分までには伏越港へ(マルナカで買い物する余裕があればBEST)

15:40 笠岡伏越港到着

2日間の研修を終えて


・雨が予想されたが奇跡的なぐらい、野外の見学で傘を使わなかった。日ごろの行いのいい人ばかり!(笑)
・北木石の足跡を辿るということで、大阪の中央公会堂や日銀大阪支店・京都府立図書館等、その建築設計と併せて日本を代表とする明治期の建築には北木石がふんだんに使われている。石が固い性質もあり、加工に技術が必要ということで、石だけでなく職人も重宝されていたようである。新ためて全国における「北木ブランド」を肌で感じることが出来た。
・今回の研修のきっかけは、4月22日の流しびな日本遺産ツア-に参加した、上さんが、その後に大阪城に北木石を見に行き、ボラティアガイドさんとのやり取りが発端となった。「北木石」のことをあまり知らない大阪城の現地ガイドの方がぜひ北木石のことを知りたいと言ってくれたことにより、大阪の人を招待する前に、こちらから大阪城に勉強に行こうということに。そして、2015年に交流していた京都の高木先生のグル-プにお声掛けして交流を再開しようということに。また、今回大阪城でガイドをしてくれた方も是非10月ぐらいに北木島に来たいという声もいただきました。なかなか島にいたら交流の機会が少なくなるので、同じような目的の中でつながれることが大いに日々の生活に喜びを付加するものであると思う。
・会員同士のつながりを強固にし、上さん・由美子さんを応援者として情報発信等の役割を担ってもらうこと、また、金風呂地区だけでなく、豊浦の会員も募集し、地域を挙げた取りくみにする必要性がある。
・いろいろな交流と研鑽を深めて、今後の島ガイドに役立ててほしいと感じる。基本的な知識として自ら見る事、調べることの大切さを新ためて感じた。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!
目次